• Eomac + Kyoka = Lena Andersson

    アイルランド人プロデューサーEomacと、日本人アーティストKyokaのコラボレーションプロジェクトに迫る。…

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by Sam Taylor

シンセシスの革命: REAKTOR25年の歴史

シンセシスの全てが詰まったREAKTORが、1996年のリリース以降どのようにNIを支えて来たかについて学ぼう。

20年以上もの間、RadioheadやFlaming LipsからMerzbowやHaxan Cloakに至るまで、音楽の可能性を広げてきたあらゆるジャンルのクリエイター達はREAKTORを使用してツール、トラック、更にはキャリアまでをも作り上げてきた。しかし、REAKTORとは何なのか、という問いに明確な答えはない。その万能さ故に、ユーザー次第でREAKTORはモジュラーシンセ、プログラミング環境、スタジオ、またはお気に入りのシンセやエフェクトのパッケージ、などにその姿を変えるのだ。

Native Instrumentsにとって、REAKTORは上記の全てであり、それ以上の存在だ。REAKTORは我々が初めて生み出した製品の直系である。それはRAZORやMONARKなどのシンセの土台に位置するプラットフォームであり、また、MASSIVETRAKTOR などのインストゥルメントが試作された場所でもある。そしてREAKTORを中核にコミュニティーが生まれ、彼らはあらゆるユニークなインストゥルメント、エフェクト、ツールを生み出し続けてきた。その多くは無償提供されているのでぜひチェックしてみよう。

Native Instrumentsの25周年を記念して (それはすなわちREAKTORの記念でもある) 、我々はREAKTORの誕生、進化、そしてマーケティングに携わった関係者たちに話を聞いてみた。

REAKTORの第一世代

REAKTORとNative Instrumentsの物語は1993年、デジタルミキシングコンソール製造会社を退職したばかりのStephan Schmittと彼の友人、独学プログラマーのVolker Hinzから始まる。

「(その会社には) ユーザーインターフェースと、関連するソフトウェアを開発するソフトウェアエンジニアのチームがいたんだ」とSchmittは語る。「私は開発のマネージメントをしていたから、ソフトウェア系の人たちと日々ディスカッションをしていた。自分も将来的にはソフトウェアの道に進みたかったけど、経験も教育も不足していた。だからパートナーが必要で、それがVolkerだったんだ。」

彼らの最初の目標は独自のミキシングコンソールを作ることだったが、キーボード奏者としての背景を持つStephenの興味は音を捉えることではなく、音を作り出すことに向いていた。「生楽器は好きだし、その世界には大きなリスペクトを持っているけど、1から音を作り出すことにとても魅力を感じていたんだ。オシレーターが波形を生み出すところからね。」

「皆がパソコンを所有している環境に魅力を感じていたんだ。レコーディングやシーケンス作成の用途にはすでに使用されていたけど、

なんで楽器として使わないんだ?って思ったんだ。」

当時のデジタルシンセ界に対してStephenは不満を抱えていた。もちろん彼が称賛するシンセもいくつか存在したが (Yamaha DX7は彼のお気に入りだった) 、彼の目にはデジタルシンセを製造する既存の会社のアイディアがつまらなかったり、高額な開発費が妨げとなり新しい会社が別案を出せないように写ったのだ。しかし、その環境も変化の時を迎えていた。

「90年代半ばには、PCやMacなどの一般的なパソコンのCPUでリアルタイムのオーディオ作成が可能であることは明白だった」と彼は語る。「私にとって、これは次の大きな目玉だった。誰もがパソコンを所有している環境に魅力を感じていたんだ。レコーディングやシーケンス作成の用途ではすでに使用されていたけど、なんで楽器として使わないんだ?って思ったんだ。」

StephanとVolkerはREAKTORの前身となるソフトシンセ、GENERATORの設計に取り掛かった。インストゥルメントのサウンドの全てをコントロール出来るようにしたい、というエンジニアの観点からStephanは「完全なるモジュラー」をコンセプトに掲げ、その思想は現在のREAKTORプラットフォームにも変わらずに残っている。「ユーザー側で信号処理やユーザーインターフェースの全てを調整できるようにすると決めたんだ」と彼は語る。「だからGENERATORは単なる楽器ではなかった。それよりも楽器を構築するための作成キットという面が強かった。」

StephanとVolkerはGENERATORの試作品を完成させ、1996年にフランクフルトで開催されたMusikmesseトレードショーでそれをお披露目した。その世界初のモジュラー、ポリフォニック、リアルタイムのソフトシンセは人々の注目を浴びた。「記者を自分達のブースに招待したのを覚えているよ」とStephanは語る。「そして驚くことに彼らは本当にやってきて、製品に強い興味を示してくれた。それで私は、あぁ、これが次世代の波になるかもしれない、と思ったんだ。」

REAKTORが注目を浴びる

記者のみでなく、彼らは多くの似た思想を持った開発者やビジネスマン、そしてミュージシャンの注目を集めた。そして、それをきっかけに生まれたてのNative Instrumentsに多くの仲間が加わることとなる。そのメンバーの中にはハードウェアのエミュレーションエキスパートであるMichael Kurz、製品デザイナーであり後のCFOとなるLorenz Heine、そして後にAbletonの共同設立者となるBernd Roggendorfなどがいた。Berndは1997年のMusikmesseで後のCEOとなるDaniel HaverをNIに紹介した人物でもある。

この頃、1000マイル離れたモスクワでは、後のNI社員となる人物がGENERATORに可能性を見出すと同時に、ある欠点を感じていた。「当時、特に我々の年代にとって、シンセサイザーは貴重で高価なものだった」とNIの現ReaktorアプリケーションアーキテクトであるVadim Zavalishinは語る。「ソフトウェアの世界には大きな可能性を感じていたけど、90年代後半ではあまり一般的なものではなかった。私がGeneratorに興味を持ったのは高い柔軟性が理由なんだけど、パフォーマンス面で言えば、より効率的なやり方があると思ったんだ。きっと初号機を急いで作ったからこのような状態になっていて、NIはこれを改善するだろうと予測していたんだけど、1年が経っても何も変わらなかったんだ。」

Vadimは自らの手でSync Modularを作り上げた。Sync Modularの見た目やサウンドはGENERATORに似ていたが、内蔵のコンパイラを採用することでより効率的で柔軟性のあるものにしていた。これを知ったStephanはVadimを敵視するのではなく、ロシアにいるVadimを訪問し、ベルリンにあるNI社で一緒に働かないかと彼を招き入れた。そしてVadimはNIで働くこととなり、REAKTOR 5で実装されることとなるsuper-efficient Core programming layerの開発に貢献した。(Vadim本人がCoreの使い方を説明する動画をこちらで観ることができる。)

ベルリンにより近い場所で、NIのキーパーソンとなる別の人物もGENERATORに魅了されていた。後にNIの最高技術責任者となるMate Galićは当時、ドイツの都市ケルンでDJやテレビ司会者として活動していた。彼はGENERATORのベータ版をダウンロード中にNIのウェブサイトで求人を見つけた。「不眠の状態で、30時間くらいはパソコンで作業をしていたんだ」とMateは語る。「当時の私はサウンドシンセシスに夢中だった。意識が朦朧とする中、ウェブサイトの「We are looking for you (あなたを求めている)」という求人広告が目に入ったんだ。仕事内容に目を通してみたら「NIは本当に私を求めてるんだ!」と思った。数週間後に私はベルリンにいて、それ以来、21年間NIに勤めているよ。」

「Generatorは楽器とも呼べるだろう」とGalićは語る。「私はプラットフォームと呼んでいる。「ユーザー」であるあなたは自由にパッチを組み、サウンドを作ることができる。モジュールが基礎のツールで、最近、多くの人達がユーロラックのモジュラーで行っていることにとても似ている。当時、ここまでの事が行えるのはGeneratorのソフトくらいだったんだ。そして、Generatorの後継としてReaktorが生まれた。」

REAKTORの革命

GENERATORはなぜREAKTORという名前になったのか?GENERATORは元々、純粋なシンセシスのプラットフォームだった。そして、Abletonを共同設立する前にNIで働いていたGerhard Behlesはグラニュラーバリエーションのためにサンプリングモジュールを追加しよう、というアイデアを提案した。結果的にこれは別の製品、TRANSFORMATORとして発売された。「Transformerにはあまり力を入れていなくて、発売してからすぐにGeneratorと合体させようという結論に至った。そして生まれたのがReaktorなんだ」とStephanは語る。「Reaktorは全てを含んだパッケージのようなものだった。シンセシスとサンプリングが1つにまとまっている。Reaktorという名前には「カオス」的な意味合いも含まれていたと思うよ。」

「当初から、現在のKompleteの中で使用することができるReaktorとほぼ同じ姿をしていた」とMateは語る。「Native Instrumentsの中で最も古い製品さ。会社自体がGenerator/Reaktorの上に成り立っていると言っても良い。」

「NI製品の多くはREAKTORの中で試作されたんだ」とStephanは語る。「開発部は、特に初期の頃はMichael Kurzが、Reaktorを使ってPro-5, Pro-53, B3 organ, FM7, そしてFM8などの製品を作っていた。Reaktorという「環境」ではコードを書くのではなく、すぐに色々なことを試せるんだ。コンパイラの実行を待たずに調整を加えたり、試したりすることができる。ワイヤーを描けば、結果が鳴る。作業がとても効率的になるんだ。」

今でこそサウンドデザイナーにとって最もスリリングな製品の1つとなったREAKTORだが、当時の売れ行きはあまり芳しくなかったとStephanは説明する。「誰もまだ、Generatorに何を期待すればよいのかイメージ出来ていなかったんだ。皆は「これはmini-Moogや303の音が出るのか?」ということを知りたがった。人々はシンセサイザーにとても興味を持ち始めていたけれど、彼らはリファレンスを欲しがった。だから我々はお客様に音質やレイテンシーについて納得してもらえるように努力したんだ。何かをエミュレートする目的で開発したものではないけど、我々は静かにその価値が理解されるのを待たなければいけなかった。」

REAKTORにはStephanとVolkerが開発時に掲げた理念が生き続けているが、時代と共に多くの要素が追加されてきた。1999年のREAKTOR 2.0のアップデートではMacに対応するようになり、より多くのクリエイターに使用されるようになった。2001年のREAKTOR 3.0アップデートでは見た目が一新し、新しく改良されたオーディオエンジンが追加され、シンセシスとサンプリング用に新たなモジュールが追加された。4.0のアップデートではアンサンブルのカスタマイズツールや現在でも使用されているA/Bの表示が追加され、驚くことに、CDに穴を空けるなどの工程を含む昔ながらのローテクなコピープロテクション方法が採用された。

小難しいコードを書くことに怖気づくことがないから、すぐにアイデアを形にし始められる。

2005年のREAKTOR 5.0のアップデートでは新時代の幕開けとも言えるアンサンブルの作成、カスタマイズが可能となった。ユーザーはCoreを使用して新しいモジュールを作成することが出来るようになり、その手助けとなるセルのライブラリも収録された。Martijn Zwartjesは初期のユーザーの1人で、彼がCoreをベースに作成したSteampipe, Spacedrone, SpaceMaster, そしてあらゆるTRAKTORエフェクトなどはREAKTORのマクロ、エフェクト、そしてインストゥルメントライブラリに貢献した。Coreは後にErik ‘Errorsmith’ Wiegandにも使用された。彼のRAZORシンセはCoreのみを使用して作られた最初の楽器だった。そしてCoreはREAKTORのインストゥルメントデザインの歴史の中でMike “MASSIVE” Daliot, James Walker-Hall, そしてLazyfishなどの重要人物に使用されてきた。

2016年にリリースされたREAKTOR 6ではREAKTORのモジュラー哲学が新しい形で蘇った。成長するユーロラックシーンにインスパイアされ、NIはBlocksをデビューさせたのだ。それは簡単に使用できるハードウェアのようなシンセモジュールで、直感的にパッチを組んで、演奏することができる。バージョン6.3のアップデート以降、ユーザーはフロントパネル上でこれらのモジュールを直接バーチャルケーブルで繋げられるようになった。

最近の中ではバージョン6.2のアップデートが最も大きかったかもしれない。このアップデートではREAKTORのプラットフォームをサードパーティーも使用出来るようになり、Twisted Tools, Heavyocity, Blinksonic, そしてTonsturmなどの会社からインストゥルメントが追加された。今では定番のREAKTORインストゥルメントであるTHE MOUTH, THE FINGER, そしてFLESHなどを開発したプロデューサー、技術者、そして多作のREAKTORビルダーであるTim Exileもこの波に乗って、正式にREAKTORの製品開発に参入している。

「Reaktorはノードベースだからとてもパワフルなんだ」と彼は彼の最新プロジェクト、Endlessの拠点であるロンドンから語る。「とても簡単なんだ。小難しいコードを書くことに怖気づくことがないから、すぐにアイデアを形にし始められる。オシレーターをフィルターに繋げて、それにVCAを加えれば、あっという間に演奏可能なシンセの出来上がりだ。」

REAKTORが作り出すコミュニティー

GENERATORの誕生以降、REAKTORは世界中にいる数多くの似たマインドを持ったミュージシャン、そして開発者をサポートしてきた。彼らは寛大な心と学び合う姿勢をモチベーションに、自身の作品を無償でシェアしている。

現在、REAKTOR User Libraryには数多くの優秀なビルダー達が作り上げた約6,000のアンサンブルが収録されているが、その始まりはとても慎ましいものだった、とNIのオーディオ開発者兼REAKTORビルダーであるDietrich Pankは語る。「コンテンツというより、会話だったんだ」と彼は語る。「(メール)リストには重要人物が何人かいて、我々は直接話したり、質問したりすることができた。90年代だった当時、Eメールはまだ馴染みのないものだったよ。」

DietrichもGENERATORを通してNIに魅力を感じた初期の社員の1人だ。90年代後半、楽器屋で働いている時にこのソフトを知った彼はツアー中であった彼のバンドをミュンヘンに残して、ベルリンのLove ParadeにいるNIチームに会いに行くために急遽、高額な航空券を購入したのだった。そして間もなく仕事に応募し、それ以降NIで働き続けている。

「REAKTORインストゥルメントについて考えなければならない。それはただの小さなファイルなんだ」とStephanは語る。「90年代の当時から、すでにEメールに添付できるほど小さなものだった。貴重なインストゥルメントやエフェクトをEメールに添付できるんだ。すごい事じゃないか!」

NYCのバンド、Living Colourの結成者兼ギタリストであるVernon Reidにとって、REAKTORを使用する理由はUser Libraryにある。「Native Instrumentsは同系統の会社の中でも、ユーザー/クリエイター達による急成長するコミュニティを持っている最初の会社だった。」と彼は語る。「そしてREAKTORとNative Instrumentsがずば抜けて「お得」だったのは、種類豊富なアンサンブルを無償でダウンロードして使用できる点だった。とても優秀なクリエイター達が最新の作品をアップし、それを皆が評価する。FacebookやTwitterが生まれる前の、初のオーディオソーシャルネットワークのようだった。」

「REAKTOR周りのNIコミュニティはただただ素晴らしかった」と彼は続ける。「当時、Martin Brinkmanが私のお気に入りのクリエイターだった。その時代にREAKTORを使用していて、Martin Brinkmanの名前を知らない人はいないだろう。他にも、LazyFishという名前で活動していたクリエイターもいた。このようにニックネームで活動するクリエイターもいて、彼らは素晴らしく、エッジの効いた、クレイジーな事をしていたよ。」

ユーザーライブラリのおすすめをもっと知りたい方は、NI BlogFree StuffセクションにあるREAKTOR系の記事をチェックしよう。

REAKTORの実用の歴史

インストゥルメントの価値は、それが作り出す音楽にある。REAKTORには数多くの作品で使用された歴史があり、その価値を見極めるには十分だろう。伝説的なロックミュージシャンであるNine Inch Nailsや前述したRadioheadから、有名なREAKTORビルダーであるMax Richterなどのネオクラシカルの作曲家やMark Fell, Gábor Lázár, そしてErrorsmithなどのエレクトロニック音楽の実験者達に至るまで、RAZORの影響はほぼ全てのジャンルを網羅している。RAZOR単体ではDua Lipa, Fever Ray, そしてModeselektorなどのヒット曲で使用されている。

エレクトロミュージック界の中で最もREAKTORを支持している人物の1人であるTelefon Tel AvivのJosh Eustisは我々との2020年のインタビューで「1999年以降、Telefon Tel Avivの全てのシングルでReaktorを使用している」と語っている。

「私とREAKTORの出会いは、90年代後半、マイアミにあるJosh Kayのスタジオでだった」と彼はNIの25周年パーティーで再会した時に明かしてくれた。「ある時彼がREAKTORを見せてくれて、Telefon Tel AvivのCharlieと私はその大きな可能性にただただ愕然としていた。私にとってREAKTORは音の新境地のような存在だ。音の可能性の限界に挑んでいる。そしてそれは私の興味や、Telefon Tel Avivの活動で大事にしていることと重なっていたんだ。誰か作った道を通りたくない、という思想とね。」

それは全く革新的なソフトウェア環境だったし、現代でもその作りに感心しているよ。音の質もバージョンアップデートを追う毎に進化している。

この「全く新しいサウンドを作れる」という機能のおかげでREAKTORは数多くのサウンドデザイナー達に長年愛用されてきた。その中でも、Richard Devineに匹敵する影響を残した人物は数少ないだろう。彼は自身の作品のみでなく、Nike, Apple, Coca-Colaなどの企業や有名なゲームシリーズ、そしてJaguarの初代電気自動車のエンジン音に至るまで、様々なサウンドをデザインしてきた。彼は90年代後半のとある仕事をきっかけにMate Galićと知り合い、その縁を通じて初めて商業用サウンドデザインの仕事を受けた。それ以降、ほぼ全てのNIインストゥルメント製品のプリセット制作に携わっている。

「Reaktorは今でも私の一番好きな作業環境だ」と彼は語る。「それは全く革新的なソフトウェア環境だったし、現代でもその作りに感心しているよ。音の質もバージョンアップデートを追う毎に進化している。私がReaktorでデザインしたインストゥルメントは数百に及んでいて、自身のプロジェクトにはもちろん、サウンドデザインプロジェクト、ゲーム、映画、そしてTV広告などに使用してきた。ユニークなサウンドをシンセシスやサンプル処理を使って1から作り上げるのに、今でも大好きな作業環境の1つなんだ。

REAKTORの25年の歴史を振り返ることよりも面白いことがあるとすれば、それはこの先の25年を想像することだ。我々も様々な調整、アップデート、そしてインストゥルメントの追加を計画しているが、このプラットフォームの未来は「あなた」にも委ねられている。もしもあなたがREAKTORを使用した音楽制作やサウンドデザイン、またはツール作成をしていて、共有したいという気持ちがあれば、ぜひNIの我々にも聞かせてほしい。共有にはSNSへのタグ付け (#NI25) や、NI Forum内のREAKTOR系のディスカッションに参加する方法がある。更に良い方法としては、User Libraryとしてあなたの作品をコミュニティにシェアしてみよう。我々も拝聴する。

 

この記事の追加インタビューはVivian Hostが担当した。

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