もしもあなたがテクノロジーに疎かったとしても、近年の機械学習技術のインパクトについては、間違いなく気づいているだろう。交通警報から翻訳まで幅広い分野に渡って、あらゆる種類のAIツールが急速に可能性を拡大し続けている。
しかしながら音楽制作は、そのような新しいテクノロジーの変化に伴う大きな流れに、しばしば抵抗してきた。音楽プロデューサーや特にギタープレイヤーの間でよく起きている「アナログ対デジタル」論争を考えてみてほしい。アナログな電子回路のデジタルバージョンが市場にはたくさん出回っているが、その中でハードウェア特有の温かみや個性を本当の意味で再現しているのはほんの一部だけだ、と多くの機材マニア達は主張している。
ソフトウェアエンジニアのBoris Kuznetsov、Fabian Esqueda、 Julian Parkerによって新しく開発されたINTELLIGENT CIRCUIT MODELLINGは、驚くべきことに、この2つの領域を横断したもので、アナログハードウェア機器の挙動を徹底的に再現したアルゴリズムが基盤の人工ニューラルネットワークが使われている。
最近リリースされたGUITAR RIG 6 PROのBass Invader、Chicago、Fire Breatherは、この新技術を使った初めてのアンプだ。今回の記事では、開発チームにその詳細について話を聞いた。
The past
ICMテクニックの何がそんなに特別なのかを賞賛するためには、回路の伝統的なモデリング方式について知ることが手助けになり、ざっくり分類すると「ブラックボックス」と「ホワイトボックス」という2種類のモデリング方式がある。
「ブラックボックスモデルとは、入力と出力だけに注目して、その間で起きている事については考えないモデルなんだ」とJulianが説明する。「実際どのような内部の仕組みが結果を生み出しているかは気にしないで、最終的に出力されたサウンドを再現する方法を探し出す手法だよ」
Fabianが付け加えて言うには「例えば、プリアンプ、チューブディストーション、フィルタリングといったアンプの中の回路の様々な構成要素の近似値を設定して、全てを一つにまとめるんだ。この方法の問題点は、違った要素同士がどうやって相互に影響しているかについて捉えることができないということなんだ」
ハードウェアのアンプでは、音色のツマミや真空管といった様々な部分に物理的な相互関係があり、これがアンプ全体の独自の個性のカギを握っている。そして、演奏されるサウンドの種類やアンプのセットアップ方法によって、この関係は常に進化し変化しているため、詳細部分まで複製することは大変難しく、別の言葉で言い換えると、サウンドの重要な要素が決定的に失われてしまうのだ。
「ホワイトボックスモデルは、逆なんだ」とJulianが続ける。 「プロセスを模倣することに焦点を絞っているモデルで、そのために、背景のメカニズムを深く理解する必要が要求される。この伝統的な手法でギターアンプ全体のシミュレーションをするには、非常に専門的な仕事が大量にあるので数ヶ月かかってしまうんだ」
それに加えて、Fabianが指摘するには、ハードウェア機器の実際のサウンドについて、理論や回路図が常に全貌を教えてくれる訳ではない。「例え数学を完璧に理解していたとしても、アンプのデザインについての方程式がサウンドの響きについて全て説明しているとは限らない。完全に同じ回路を元にデザインして制作された2台のアナログシンセがあったとしても、ほんの少しだけそれぞれ違った個性が現れてくる。それこそがハードウェアの美しさだね」
Julianがシンプルにまとめると「例えば真空管のようなものを取り扱う時、それ自身の数学モデルはあまり関係ないことが多いんだ」
こうした理由でブラックとホワイトのどちらの方式を取ろうとも、アナログ機材に個性を与える特徴を再現するという面では、回路の伝統的なモデリング手法は満足がいくものではなかった。そこで登場したのがINTELLIGENT CIRCUIT MODELLINGだ。
The present
「ICMの開発は2017年後半に始まったんだけど、当時はCRUSH PACKエフェクトシリーズのDIRTの開発に取り組んでいた」とJulianは説明する。「DIRTのインスピレーション源になった回路のモデリング方式は、僕たちがすぐに解けないような難しい数学の方程式が関係していた。これは時々遭遇することなんだけど、先に進むためには、繰り返すことが必要だった。つまり、他の言葉で言うと、まずは答えについて根拠や経験に基づく推測をして、方程式が解けて上手く動くようになるまで、推測を精錬し改良し続ける。この時、僕たちがやってるプロセスを機械学習システムにやってもらうというアイディアを思いついたんだ」
「そこから、その手法をモデルの方程式のために開発し始めて、最終的には、回路全体になった」とFabianが続ける。「その時点で、僕たちがやってることは何かとても革新的なことなんだと気付き、研究結果を発表すると同時に特許に申請しようと決めたんだ」
研究結果は、2019年9月にイギリスのバーミンガムで行われた第22回 International Conference on Digital Audio Effectsで発表された。本格的な数学の要素が含まれている内容になるが、彼らの研究の科学的な側面についてはこの研究論文の中で知ることができる。
研究の元々の焦点は、シンセフィルターとディストーションユニットのエミュレーションに関するものだったが、GUITAR RIG 6 PROの開発が軌道に乗ってくると、この新しい技術をギターアンプに応用できるということに気づいた。開発プロジェクトは2020年まで続き、新型コロナウィルスのパンデミックの影響で止まってしまう可能性もあったが、Borisは自宅にラボを作って開発が進められるようにし、分解した様々なクラシックアンプのワイヤー、キャパシター、真空管などに、彼の居住空間を捧げた。
「あの時期のBorisは、真のヒーローだったね」とFabianは言う。「僕たちみんながロックダウンしている間、彼は1人でたくさんの計測を行った。そうじゃなかったら、プロジェクトはリリースまでに完成しなかったと思うよ」
プロセスについて、さらにBorisが説明する。「例えば、地図上のA地点からB地点へ行きたい時のように、出発場所と到着したい目的地は知ってるけど、旅の途中でどのような場所を通り過ぎるのかはまだ知らない。だから、アンプの入出力とともに、『state』と呼ばれている内部の様々なキーポイントの電気的な計測も行った。この『state』は地図上の未知な部分のようなもので、電気系統全体の変遷について必要なことを全部教えてくれるんだ」
「入出力や『state』に関する膨大な量のデータを集めるために、プローブと測定器を高電圧アンプの中に入れた」とFabianは付け加える。「計測が完了したら、僕たちがデザインした人工知能ネットワークにそのデータを与える。計測結果が何らかの出力を生み出すことは分かっているので、ソフトウェアは全ての数に適したアルゴリズムを探すことができる。初めは推測からスタートして、もちろん最初は間違った推測の方が多いんだけど、だんだん改良されて近づいていき、最終的には、アンプシミュレーションとして使うことができる解答に辿り着くんだ」
最新GPUの速度のおかげで、チームが開発したプログラムは、わずか1秒で、幾千もの解答の可能性を同時にチェックすることができる。このニューラルネットワークが、それぞれのアンプのための最終的なアルゴリズムを生成するには数週間かかり、膨大な作業量が必要となる。機械学習技術を役立つツールとして開発する試みは1950年代から始まったが、この手法が実際可能になったのは、コンピューターが十分パワフルになったここ数年の出来事なのだ。
「アナログ回路のエミュレーションの長い歴史の中で数多くの研究が行われてきたけど、この領域で機械学習技術が大きな話題になったのは、本当にごく最近のことなんだ。だから、僕たちは、パーフェクトなタイミングでパーフェクトな場所にいたんだよ」とFabianは説明する。
それでは、ICMはアンプのサウンドにどんな影響を与えるのか? この重要な質問に対し、Julianは比較検討しながら答えた。「伝統的なモデリング技術の場合は、正しい音を生み出すために、ツマミをいじったりチューニングしたりといった広範な作業が必要になる。一方、機械学習技術のアルゴリズムが出力する結果は大変的確なので、それ以上何かをやる必要がない。これが一番大きな違いだね」
「実際、僕たちが気づいていないようなアンプの特徴を、ニューラルネットワークが教えてくれることがある」と彼は付け加える。「今回のアンプシミュレーションで、例えばある周波数帯域でフィードバックが起きるといったような『問題』に遭遇したことがあるんだけど、調べてみたら、実際のハードウェアのアンプでも同じ現象が起きるってことが判明したんだ。これは故意にプログラムできないことで、他にも何百という同様の不完全な部分がアルゴリズムによって拾い上げられたんだよ」
Julianが述べているように、このような予測不能な特徴は、間違いなくアナログ機材のマジックと言えるだろう。「面白い形で機材が予想を超えた反応をする時、ワクワクと興奮するんだ」
別の言葉で言い換えると、ICMは魅力的な温かみ、力強いパンチ、個性あるざらつきといった人々がハードウェアのクラシックギターアンプに求めるもの全てを拾い上げて、先例のないレベルの正確さで再現しているのだ。
The future
GUITAR RIG 6 PROは、モデリングにICMを導入した3つの新しいアンプを備えているが、これはプロジェクトの完成という意味ではなく、むしろ、高品質なエミュレーションの世界を切り開く新しい始まりにすぎない。
「全ての計算や調整を自分たちでやる必要がなくなったため、ニューラルネットワークが仕事をしてくれている間に、他のアンプや回路の計測をすることができるようになった。このことは、以前と比べて、格段に多くのアンプに取り組めるという意味で、GUITAR RIG 6 PROのユーザーにとって大変心踊ることだと思う」
これに加えて「ギターアンプ以外のものもやりたいんだ」とJulianは明かす。「今の時点では新しいアンプに取り組んでいるけど、その後には、たぶんディストーションペダルに取り組むと思う。将来的には、シンセフィルター、コンプレッサー、EQ、プリアンプなど、素晴らしいサウンドのものならなんでもやってみたいんだ」
ICMの可能性は、機械学習的アプローチを超えた領域にも広がっている。現段階では、人気アナログ機材のデジタルエミュレーションの分野で効果的に使われているだけだが、今回の開発技術の背景にある根本原理は、他の文脈でも応用することができる。Fabianは未来について大胆なビジョンを描いている。「本当にこれは単なるスタート地点にすぎないんだよ。この技術を開発している過程で、多くのスキルと知識を手にすることができた。将来的には、そこからの可能性を、他のNI製品に生かしていこうと考えてるんだ」
今後の展開を楽しみに見ていてほしい。